4年目

勉強

大喜利の定義および自分の嗜好について

考えたことを箇条書きします。


・風邪さんとふかしさんの先月くらいのツイキャスがかなり面白かったです。

・内容は最近のネタボケライフ参加者の投稿内容および採点についての持論の展開だったと記憶しています。

・この持論の節々から大喜利に対する熱意みたいなものが感じられ、ものすごく色々と考えられた上で真摯に大喜利に取り組まれているんだなというのことが伝わってきました。

・回答に対する持論も興味深かったのですが、特に採点についての話がとても心に残りました。

・「ネタボケライフは10人しか採点できない、たった10人の採点で順位が決まってしまうので、参加者を代表していることをもっと意識して採点してほしい。自分の嗜好だけで気ままに採点しないでほしい(もちろん個人の自由であることは踏まえた上で一意見として)」というものだったと記憶しています。

・特に嗜好の部分については、「ネット大喜利の中だけで閉鎖的に培われた、ネット大喜利経験者しか知り得ない暗黙知的な判断基準で採点しないでほしい、それは不健全な状態である」と仰られていたと思います。
(間違ってましたら大変申し訳ありません)

・この「参加者を代表して」という点が自分には全く抜けていた発想で、僕は今までずっと自分の嗜好だけを基準として採点していたのでとても勉強になりました。

・僕は他の採点者が低い点をつける投稿を最高点にすることが多く、また逆もしかりといった採点内容で他人とはかなり違う嗜好を持っていると思われます(奇を衒っている訳ではないのできちんと後述します)。

・参加者全員が投票できる/しなければならないルールならまだしも、10人しか採点できないかつ点数の幅が広いルールでその嗜好を全面に出してしまうのはかなり採点に対して無責任というか、気ままに採点してしまっていたなとかなり反省をしました。

・また、「初心者の方がネット大喜利のサイトを初めて見られた際に、お題に真摯に向き合った回答の票が伸びておらず、一周も二周もしたからこそ面白い回答が上位に並んでいたら楽しいと思えるだろうか?」というのはかなり重要な指摘だと思いました。

・風邪さんのようにネット大喜利に長く携わられている方が、初心者の方を向かれてこのような発言されているのは素晴らしいことだなと感じました。

・ただ、自分の嗜好もある程度は考慮しつつ、全体を代表した判断基準で採点ができるのかというと、正直そこまで採点にリソースをかける意欲や時間もなく、僕としては採点自体を控えるという結論を出しました。

・当然、採点をしないのに投稿だけはするという状態を続ける気もないので、ネタボケライフへの投稿はしないことにしています。いつかきちんと採点する意欲が湧いたらまた再開したいと思っています。

・もうひとつの論点、デレマス大喜利や生大喜利のことについては賛成できる点もできない点もありましたが、デレマス大喜利は全く当事者ではないのと、生大喜利もほぼ興味の対象から外れたのでここでは触れないことにしようかなと思います。

・ただ、ツイキャスの論点からは外れた部分になるのですが、個人的にはデレマス大喜利みたいに一目でジャンルが分かるような大喜利会があるのはとても良いことだと思います。

・デレマスというジャンルから大喜利への新規参入を促せるというのが一般的にはメリットに挙げられると思いますが、個人的にはその逆のベクトル、デレマスというジャンルに興味がある方だけを集められるという点が素晴らしいと思っています。

・最近、大喜利は比較的どんな回答でも許容されるわりには全然ジャンル分けされてなくて辛いな、みたいなことをよく思うようになりました。これはお笑い全般にも共通して言えることではあるのですが。

・例えば音楽はポップスからロック、ジャズ、EDMに至るまで、ある程度纏まった表現ごとにジャンルが形成されています。

・さらに、ロックひとつをとってみてもインディーやパンク、グランジ、サイケデリック、プログレなど色々なジャンルに細分化されています。

・例え便宜的なものであったとしても、このようにジャンル分けされているからこそ自分の好きな表現を探すことが容易になっています。

・シューゲイザーが好きな人がいたとして、ポップスがメインのライブに通い続けるよりはインディー・ロックがメインのライブに1回通う方が好きなアーティスト、楽曲に出会う確率は高いと思います。

・まさにこの「シューゲイザーが大好きなのにポップスのライブに通い続ける」という感覚があって、大喜利、特に生大喜利については徐々に参加回数を減らしていたりします(どうでもいい話ですね)。

・ということもあり、デレマス大喜利のようなしっかりとジャンル分けされた大喜利会があるのは大変素晴らしいというか、羨ましいなと思います。

・僕が所属できるとしたらなんでしょうね、デペイズマン大喜利やコラージュ大喜利みたいなものになるのかもしれません。

・たぶんこれは大喜利でやらなくてもいいですね。今さらだけど油画を専攻しようかな。

・少し話がそれました。

・風邪さんやふかしさんが仰られていた大喜利に対する持論や姿勢がとても素晴らしかったので、そういう姿勢が広く浸透してほしいと願いつつ、一方で僕は僕なりの嗜好を持って大喜利をしているので参考程度にご紹介してみようかなというのが今回の趣旨になります。

・何分ニッチな世界で生きているのでご理解頂けない記述が多いとは思いますが、大喜利界の端には端の楽しみ方も存在しているということを雰囲気だけでも知って頂けたら幸いです。

・嘘です、知らなくても全然大丈夫です。ひとつの事例としてとりあえずネット上に漂わせておきます。

・大喜利に対する僕の嗜好をご紹介するにあたっては、まず先に僕が大喜利に限らず全ての表現に対してどのような嗜好を持っているかをご説明しておく必要があります。

・この点については、以前ブログにてかなり詳細まで纏めさせて頂きました。

https://mbv-0815.hatenablog.com/entry/2019/03/30/153828

・前回のブログは、音楽や視覚芸術、お笑いなどの表現から僕が本質的、普遍的に好きだと思っている体験を抽出し、表現媒体別の特性を踏まえた上でその体験を大喜利に還元する方法を考える、というアプローチになっています。

・僕は表現の手法としてノイズ、コラージュ、ループを特に好んでいて、本質的、普遍的に好きな体験として「徹底的に現実世界から離れる」ことと結論付けています。

・また、その体験を大喜利(基本的には文章)で実現しようと考えたときに、文章の以下の特性を活かした回答を目指していきたいとしていました。

・文章の特性①
「単一の要素を自分が指定した順番で提示でき、かつ以前に提示した要素との関係から新しい意味を生み出せる」

・文章の特性②
「名詞と形容詞、副詞を完全に切り離して独立させて、意味の制約を受けずに自由に配置できる」

・受け手の任意ではなく書き手の指定した順番で、かつ意味の制約を受けずに自由に言葉を配置できることで、使い方によっては音楽や、絵画や写真などの視覚芸術よりも遥かに現実世界から遠い場所へと連れていってくれる可能性がある、という話をしました。

・ということで、基本的に僕は「現実感のない」回答、もう少し具体的に表現すると「言葉が無秩序に、不明瞭に、抽象的に重ねられていく、意味のよく分からない」回答が好きであり、自分も必然的にその領域を目指していくことになります。

・ここまでが前回のブログの内容ですが、今回はそれを踏まえて、僕の嗜好として最近大喜利でどのようなことを重視しているかということを少しご紹介できればと考えています。

・具体的なサンプルがなければイメージが湧かないと思いますので、僕のネタボケライフでの投稿内容を貼らせて頂きます。

http://bokelife.revinx.net/score.cgi?show_id=4485

・僕としてはいたって真面目に取り組んでいるつもりなのですが、多くの方にとっては見るに耐えない文字列になっているかもしれません。

・特に風邪さんの基準からみれば「全くお題に沿わない(僕はこの言葉自体は全く好きではないですが便宜的に使用しておきます)」回答を出す人という印象を持たれていると思います。

・ここでひとつ、僕の大喜利に対する嗜好を説明する前に、ある種の自己防衛の意味合いも兼ねて大喜利の定義についての話をしたいと思います。

・自分が大喜利というものをどう定義していて、自分の嗜好をなぜ大喜利にも持ち込んで楽しんでいいと思っているかについての話です。

・ここだけ先に整理しておかないと、「あなたの嗜好は解ったけどそれは全く大喜利ではありません」と根拠もなくバッサリ斬られて終了してしまう可能性もありますので。。

・大喜利の定義については、個人的にはかなり面白いテーマだと思いますのでもっとたくさんの方のご意見も拝見させて頂きたいなと思っています。

・先ほどもジャンルの話をしましたが、この大喜利をどう定義するかという部分である程度ジャンル分けしてしまってもいいのかなと思うところもあります。

・定義についてはもう宗教の問題だったりもするので。違う宗教の信者を互いに不快に感じるくらいなら完全に分けてしまえばいいと思います。

・そういう意味では僕は大喜利プラスの朱雀の間にはかなりの期待を寄せています。朱雀の間は不定期かつ暗黙的にではありますが、文字列に対して僕と似たようなかなりニッチな嗜好を持った方が集まる場所になっている気がします。

・では大喜利の定義について話をしたいと思います。

・現段階では、大喜利についての定義やルールは明確には存在していないというのが僕の認識です(調査不足でしたら申し訳ありません、ぜひをソースを教えて頂けたら有り難いです)。

・つまり、ここから先についての話はすべて僕の主観、個人的な解釈によって進められることをご理解頂けましたら幸いです。

・少し話はそれますが、大喜利に関する議論はしばしば、主観と客観が混同されてしまっていると思います。

・「自分はこうあるべきだと思う」という主観を、「大喜利はこうあるべきだ」という客観にまで引き上げて語りたい時は、明確な定義やルールに裏打ちされた強い論理を使う必要があると思います。

・大喜利に対する明確な定義やルールを提示せず、他人の回答を「それは大喜利ではない」と断定するのはかなりの暴論で、基本的には聞くに値しない意見だと認識しています。

・例えば、「これは大喜利だ/大喜利ではない」という判断において頻出するいわゆる「お題に沿う/沿わない」という基準ですが、僕からすればほぼ全員何の定義やルールを参照して議論しているのか全く分からないです。

・「僕の定義やルールではこれはお題に沿っていない、だから評価できない」という主観的な発言はもちろんOKなのですが、「大喜利の定義やルールではこれはお題に沿っていない、だから評価できない」という客観的な発言については僕にはかなり理解が難しい側面があります。

・単純に、「この方は何の定義やルールを参照してこういう客観的な発言をしているのだろう?」と思います。

・大喜利に明確な定義やルールが存在しており、参加者全員できちんと合意形成された「お題に沿う/沿わない」の基準が存在しているのなら理解できるのですが。

・例えば、大喜利のお題として頻出する要素に「メルヘン」というものがあります。

・和製英語として「メルヘンチック」という言葉があるように、現在この言葉は日本においては「童話の世界に出てくるようなかわいさ、不思議さ、神秘さを含む雰囲気」のことを指すことが多いように思います。

・ただ、この言葉は元々はドイツ語のメルヒェン( Märchen)に由来していますが、本来としては「おとぎばなし」という意味合いしか持っていません。

・この言葉が指し示しているのはあくまで伝承により流布した民衆文学全般であり、その全てが童話によく見られる、いわゆる和製英語としてのメルヘンチックな雰囲気を持つとは限らない訳です。

・この手の知識を持っている回答者が、いわゆるメルヘンチックとはかけ離れた、本来メルヘンが持ちうる残忍、残酷な要素を拾って回答として提示した時、それはお題に沿っていないと断言できるのでしょうか?

・もっと極端な例になりますが、例えば仮にみかんを青いものと認識している回答者がいたとして、みかんが含まれたお題で青いという要素を拾って回答として提示した時、それはお題に沿っていないと断言できるのでしょうか?
(当初りんごと書いていましたが普通に青りんごがあるので修正しました)

・あまりに多様な知識、感性を持つ集団に対して、どこまでの要素であればお題に沿っていると判断できて、どこからの要素からはお題に沿っていないと判断できるのでしょうか?

・こういう発言をすると、「世間一般の感覚として」というツッコミが入ると思うのですが、では世間一般の基準とは?参加者の何割がその感覚を持てば世間一般となるの?と思ってしまいます。

・それくらい大喜利には客観的な定義やルールを設けることが難しいと思っています。というかはっきり不可能だと個人的には思っています。

・つまり、すべての大喜利に関する議論は主観でしか存在し得ないというのが僕の立場です。そういう立場から、今回自分は、自分の主観として大喜利をどう捉えているか、その中でどんな嗜好を持っているかという話ができればと思っています。

・僕の嗜好が明確にニッチなものであるが故に、まずこの立場を明確にしておかないと変な、ピントの外れた反論を頂きそうな気がしましたので先に記載させて頂きました。

・(大喜利には明確な定義やルールがない、という点が一番反証可能性が高そうな気がしていて、もしそういうものがあった場合、これまで書いてきたことおよびこれから書いていくこと全てが水の泡に帰す可能性があるので、明確な定義やルールをご存知の方がいらっしゃればぜひ教えて頂きたいです。。)

・かなり話が長くなってしまいました。でもなかなか面白い、興味深いテーマではあると思います。

・さて、それでは僕の主観としての大喜利の定義、そして嗜好の話をしていきたいと思います。

・大喜利の定義については、一応、自分の中ではこれまでの経験から「出題に対して任意の情報を回答することで笑いを生み出す演目」としています(任意の情報というのは、文字列だけでなく絵やジェスチャーなども回答となり得るためです)。

・おそらく、他の方々が暗黙的に定義されているものよりは広めの定義がなされていると推察します。

・「出題に沿って」ではなく「出題に対して」と表現を緩めているのは、前述の通り「お題に沿う」という行為を誰も客観的には判断することができないと思われるからです。

・僕個人の基準としては、お題を眺めることによって連想された任意の情報はすべて「お題に沿っている」と判断します。

・お題が無くても成立し得る回答、ではなく、お題とは一切関係無く発想された回答のみを「お題に沿っていない」と判断します(その判断も結局は主観でしか成立し得ないのですが)。

・ただ、「お題に沿っていない」回答についても、大喜利としての評価としては低くあるべきだとは思いつつも、その存在自体は大いに認める立場をとります。

・人間が普段意識下には置いていない、無意識の中から出力された情報にこそ今まで知覚できなかった、新しい面白さが内包されているケースも多いからです。

・そもそも、お題は一度眺めてしまった時点でもう完全に「お題に沿わない」回答を出すのは無理だと思っていて、どれだけ回答者が「お題に沿わない」ことを意識したとしても、無意識の領域ではお題の影響を受けてしまっているのではないか思っていたす。

・そういう意味では、むしろ「お題に沿っていない」回答を見つける方が難しいと僕は思っています。

・これはシュルレアリスム的な考え方ですが、無意識には今まで知覚できなかった、新しい面白さが内包されているケースが多く、様々な出題を通じてひとつずつそれを知覚していけるのも大喜利のひとつの面白さなのかなと個人的には感じています。

・僕はまさにその面白さだけを求めて大喜利という世界に携わっています。とにかく新しい、未知なるものが見たい。

・ということで、回答についてはほとんど全ての情報を許容しているというのが僕の基本的なスタンスとなります。

・あとはそれが面白いと思えるかどうか、主観の領域での判断になります。

・ただ、風邪さんも仰られていた、「お題に真面目に取り組まれている、お題の情緒を汲み取る回答がもっと上位に来るべき、または上位に来るような採点を心掛けるべき」という点については全面的に同意します。

・世の中で一番露出度が高いと思われるIPPONグランプリや芸人がライブで行う大喜利が、基本的には上記を主流とした大喜利になっていると思われるからです。

・それらを見て大喜利が楽しいと思った初心者がネット大喜利に一定数辿り着くことを考えると、ある程度そのような回答がしっかり評価されておくべきというのは十分理解できます。

・これも議論すれば長くなるテーマだとは思いますが、僕自身に関してはその手の回答には一切興味が湧かないのでこの辺で切っておきたいと思います。

・お題に真面目に取り組まれている、お題の情緒を汲み取る回答が主流として存在しつつ、傍流では様々な試みも許容されている、というのが僕の中での理想です。

・できれば、主流と傍流である程度場所も区別できれば良いと思っています。大喜利に対する定義が違う所から生まれた回答を同じ場所で競わせるのはかなり不毛な作業だと思っているので。

・そういう意味では僕は大喜利プラスの朱雀の間にはかなりの期(省略)

・「お題に沿う/沿わない」についてはこんなところですが、もうひとつ、僕の大喜利の定義の中にはスタンスを明確化しておかなければならないポイントがあります。

・それは「笑いを生み出す」という点です。

・大喜利では、「笑いを生み出す」ということがゴールとなる所までは共通理解があると思うのですが、そのゴールの決め方、つまり何によって笑いを生み出すことを目的とするのかについてはかなり議論の余地が残されていると思います。

・これはもう少し簡単に言えば「どのようなメカニズムで笑いを取るか」、すなわち笑いをどう定義するかという問題になるかと思います。

・笑いの定義については大喜利のそれとは違い、おそらくアカデミックな世界の中で多くの信頼できる先行文献が生み出されていることと推察しますが、それでも笑いに対してただひとつの定義を与えることは難しいのではないかと思います。

・これも本当に、時間をかけて考えるに値する面白いテーマだと思いますが、今回のブログではその深みにははまらないでおこうと思います(しょっぱいパンさんがこの分野について考えられていた記憶があります)。

・ただひとつ主張しておきたいことは、笑いというものは実に様々なメカニズムによって引き起こされているということです。

・ここからは自分の実体験に基づく主観になってしまいますが、笑いには構図のずれから生じるおかしさ(ツッコミを入れられるもの)だけではなく、構図そのものが未知であることへの驚嘆や興奮からも発生するのではと思います。

・上記が論理的に正しいのかどうかは正直分からないのですが、自分はそういうケースでよく笑うので全く無いことではないのではと思っています。

・あとは、僕はほとんど何も感じたことがないので正確にはよく分からないのですが、いわゆるポエティックな回答でも笑いが発生するのは、共感や感動によるものなのではないかと推察しています。

・つまり笑いというものは何か特定の感情(一般的にはおかしさ)に対する反応というよりは、発生した任意の感情について即時的に反応を返したい時に発生し得るものなのではないか、というのが現段階での僕の推論です。

・上記はかなりの間違いを孕んでいる可能性はあるのですが、少なくとも笑いが構図のずれによるおかしさのみから発生するものである、と結論づけるよりはまだ信憑性があるような気はしています。

・ということで「笑いを生み出す」という部分についても、僕の主観としてはかなり広めに基準を設けています。少なくとも未知の構図に対する驚異や興奮については範囲に含めています。

・大喜利について、「出題に対して任意の情報を回答することで笑いを生み出す演目」という定義付けをしましたが、今まで述べてきたことを整理すると「お題から連想された任意の情報により受け手に笑いに繋がる任意の感情を発生させること」くらいの解釈をしていることになります。

・僕がざっと経験してきた中では、僕は大喜利というものの範囲を最も広く捉える集団の一人に属しているのではないかと思います。

・これはあくまで僕の主観的解釈なので、よほど明確で強い反駁がない限りはその考えを改めることはないかと思います。

・逆に、僕の主観的解釈から生み出された回答を大喜利と捉えるかどうかについても受け手の主観的解釈にすべて委ねられており、僕が介入できるものではありません。

・「これは大喜利ではない」と言われたとして、「僕はこれも大喜利だと思いますがあなたの解釈ではこれは大喜利ではないのですね、了解しました」という、それだけの理解が発生して終わります。

・だからこそ、繰り返しになりますがもう少しジャンルが細分化されたらいいのになと思います。デレマス大喜利はそこが羨ましいです。

・いわゆるお題の中心を狙っている方々が僕のよく理解できない回答をあまり快く思っていないように、僕もそういう方々の目につかない、大喜利をなるべく広く捉えて未知なる面白さを探すという前提があらかじめ共有されている場所で大喜利をしたいと思っています。

・これはもう宗教の問題ですので。

・そういう意味では僕は大喜利プラスの朱雀の間にはかなりの期(省略)

・以上、大喜利の定義に対する僕の主観的解釈をご説明させて頂いたところで、僕が大喜利に対してどのような嗜好を持っているかをご説明したいと思います。

・僕は、大喜利については「新規性」その一点しか求めていません。

・ただ、この「新規性」というものは、世の中にとって全く新しいものというほどハードルは高くなくて、せいぜい僕の中で既視感があるかどうかというくらいのものです。

・僕が今までに見たことのない構図であれば高い評価となり、今までに見たことのある構図であれば低い評価になります。

・これはおそらく、僕が「徹底的に現実世界から離れる」体験が好きであることから導き出されている基準だと思います。

・未知のものだからこそ現実世界から離れていると感じることができる訳で、少しでも既視感があればそれは瞬く間に現実世界へと引き戻されてしまいます。

・ということで、僕個人の嗜好としては、お題の中心が射抜かれているかどうかよりも、僕にとって未知の構図が含まれているかどうかの方が圧倒的に重視されます。

・僕は未知の構図から生まれる新しい面白さを拾うためだけに大喜利に時間を費やしているので。

・前回のブログの内容にも関連しますが、この嗜好はおそらく、シューゲイザーとの出会いによる影響が強いと思われます。

・それまで音楽の要素とは認識してこなかったノイズによって全く新しい音楽的な体験を味わうことができた、そういう大きな成功体験が新規性のある、未知の構図に対する強い好奇心を育んでいると思います。

・以後、大喜利に限らず色々な表現形態において未知なる構図に対する驚嘆や感動を抱いているのですが、最近一番のめり込んでいるものは「デペイズマン」という概念になります。

・この概念については前回のブログでもしっかりと触れたのですが、改めて概要を転記させて頂きます。

・デペイズマンの語源はフランス語の「デペイゼ Dépeyser」で、元々は転地や国外追放、異なる環境に身を置くことを意味しています。

・さらには、本来の意味から派生して「違和感や居心地の悪さを人にもたらす」という意味も含まれています。

・ある素材を本来あるべき環境や文脈から切り離して別の場所へ移して置くことで、そこに異和感や驚異を生じさせること、これがデペイズマンということになります(少し定義に甘さはあります)。

・概要説明だけだと味気がないので、デペイズマンによる体験について、昨年東京都庭園美術館で開催された「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」展の図録から少しだけ引用させて頂きます。

・「地上に存在する万物それぞれが、機能性や期待される役割を備えた対象物であったとき、それらが慣習や一定のルールからかけ離れた別の場所に置かれたとしたら、我々は一瞬混乱し、胸騒ぎを覚えるだろう」「ふたつ以上の異なる性質をもった対象物を同じ時空間に同居させることによって、引き起こされた「違和」が我々の意識を攪乱し、画像に火花が散るような驚異の世界を創出した」

・「違和」によって火花が散るという表現が本当に素晴らしいです。まさにこの、デペイズマンによってもたらされる火花を求めて色々な表現に触れる機会を積極的に作っています。

・原体験になったシューゲイザーもまさにそうで、従来は文字通りただの騒音として認識していたノイズが、浮遊感のある甘いメロディと同居することで違和による火花が生み出されたのだと思います。

・大喜利においても、やはり他の表現形態と同じようにこのデペイズマンの火花を求めるということが一番の優先事項として存在しています。

・つまり、お題から容易に想像できる、または聞いた瞬間共感できる要素から回答を作るのではなく、一見お題とは関係無さそうな要素を織り込むことで今まで知覚できなかった未知なる構図、新しい面白さを見出だす、というのが僕の大喜利に対する基本的なアプローチになります(めったに成就はしません)。

・上記のアプローチが大喜利の主流に成り得ないことは理解していますし、主流になってほしいと思ったことも特にありません。

・ただ、僕が一般的に見れば変だと思われる回答を出したり、変だと思われる回答を評価したりしているのは、いわゆる大喜利における主流なアプローチからあえて外すというおふざけを楽しんでいる訳ではありません。

・ただ純粋な嗜好、デペイズマンの追求の結果として、主流から外れたアプローチにのみ興味関心がある状況になっているというだけです。

・お題に真面目に取り組まれている、お題の情緒を汲み取る回答を作ることが主流なアプローチであり続けてほしいとは願いつつも、僕個人としてはこのアプローチは全く眼中にはありません。

・基本的には、お題に近寄れば近寄るほどデペイズマンの感覚は失われてしまうと思われるからです。

・お題の中心を射抜いている回答に出会うと、うわーこの回答は凄い、これは正解だ、という感想を抱きますが、ではそれで自分の感情が動くかといえばあまりそんなことはなかったりします。

・正解は誰が見ても正解の構図だから僕としてはわりと既視感があるというか、未知の構図に対する驚嘆、興奮みたいなものをどうしても感じにくい部分があります。

・ネット大喜利でも、あまりに良い順位を取ってしまった時は逆に反省の念を抱いたりすることもあります。未知の構図を評価する人は基本少ないからです。

・順位が高いということは、逆説的にその回答が既視感をベースに作られているということの証明でもあると考えています(それは別に悪いことではありません)

・(ただ、順位が低いからといってそれが良い回答かといえばそうではないケースの方が圧倒的に多いですが。。)

・これはもう完全に主観というか、僕個人が普段から何を面白いと思って生きてきたかという問題なので、多くの人と話が合わないのは仕方のないことだと思っています。

・別に大喜利だけ斜に構えている訳ではなく、音楽ならポップスよりも実験性の高い音楽が好きですし、絵画なら精緻な写実絵画よりも抽象絵画の方が好きですし、そのどれもどちらかといえば少数派に属するジャンルなのではないかと思います。

・大喜利にもそういう嗜好をそのまま当てはめて楽しんでいるだけで、場当たり的ではなくむしろ相当に一貫性のある、人生を通して芯の通った判断基準で大喜利を楽しんでいるつもりではあります。





・...結論を見失いそうですが、風邪さんとふかしさんの素晴らしいツイキャスを受けて、実は端っこの方で変な回答ばかり投稿している人にもその人なりの嗜好があるんです、ということが言いたくて、少しでも伝わっていたら大変有り難いなと思います。

・伝わらなくても特に問題はありません。僕は僕の探求をするのみです。

・少しのスペースで良いので、自分の嗜好で気ままに大喜利する場所をそっと空けておいて頂けたら大変有り難いなと思います。

・既に十分空けておいて頂けているとは思いますが、最近勝手に引け目を感じることが多かったので今回ブログにしてみることにしました。

・という話でした。

・(ネタボケライフとぼけおめをやらないのは単純に責任感を持った採点が大変というだけですので、またいつか頑張ります。)

・(生大喜利は完全に対面コミュニケーションなので自分の嗜好を出す気が全く起こらないのですが、幸いコミュニケーションとしての大喜利も少しはこなせるのでまた気が向いたらお邪魔させて頂きます。)

・以上です。